ハレの日も ケの日も

推しを愛して自分を満たす、その記録です。

「大豆田とわ子と三人の元夫」を見終えて眠れなかった夜に。

私が改めて言うまでもなく、素晴らしいドラマだった。この世の中に、日常に、溢れているのに名前のつかない感情や関係を掬い上げて「そこに存在すること」を認めてくれるような。それでいて押し付けがましくなく、サラッとユーモアを込めてクスッと笑わせてくれる。

それに加えて大好きな役者さんが同世代を演じてくれていて(それだけならあまりにも簡単な自分に呆れてしまうけど)、立場も状況も全然違うのに、とわ子に共感できることはすごく多かった。ふとした時に口ずさむ(時に熱く歌い上げる)懐かしい歌、10代の娘とのやりとり、男親との距離感、幼馴染の突然の死。私個人としても、ハマる要素で溢れていた。

 

そんな大好きなドラマの最終回視聴を終えて、ずっと頭から離れないこと、ツイッターでは言い切れないことがふたつあるのでそこだけ残しておきたい。

 

 

私は「NO means NO」が当たり前じゃない世界が怖くてたまらないんだと思う。

元夫達は別れた今もそれぞれがとわ子を大切にしているし、最終的にとわ子が本当に嫌がることはしないだろう。それでも彼らは男性で、とわ子が力づくで部屋から追い出すことはできない。例えば9話で小鳥遊とのデートに行かせまいととわ子を部屋に閉じ込める慎森は、暴力的ではなかったにせよ物理的な力を行使した。とわ子は慎森の気持ちを汲んで彼の行為を許していたけど、対等に見える彼らの関係は少しの加減で全然違うものになってしまうことが見えてしまった。

 

どんなに世の中から男女の差別がなくなっていったって、(個体差はあるにせよ)女性の方が非力で、力で男性を上回ることは難しいんだ、いつまでも。だからこそどうしても「NO means NO」を守りたい。弱者の「NO」を聞き逃さないでいたい。大袈裟かもしれないけど、それでも。

 

 

そしてもうひとつ。

ここから始まった、唄と交際相手の西園寺くんとの関係性について。

 

同じ10代の娘がいることも手伝って、唄のことが気になって気になって仕方なかった。できれば交際をやめさせたかった。唄の電話を奪って西園寺くんに直接物申したとわ子を称賛したかった。でも唄も鹿太郎も八作も、そしてとわ子自身もそれを良しとはしなかった。

 

唄はとわ子の娘だけど別の個人で、彼女はすでに自分の人生での選択を始めていて、親は求められた時に手を差し伸べるしかできない時期に入っていること、とわ子はちゃんとわかっていた。

そして「専業主婦になって夫との生活を内から支える」生き方だって素晴らしくて、それを選択することを否定する親であってはいけない。それもわかってる。

 

じゃ何が引っかかってるのかって、唄の思い描く「楽な」生活って、経済的に安定していることだと思うのだけど(そしてそれは男性である夫が医者であればきっと叶う)、

・全て「自分以外の他人(ここでは夫)の意思」でひっくり返る可能性があること。

・もし仮に夫が離婚を決めた時に、それまで家庭を内から支えることのみに注力していた女性が自立できるような仕事は、恐らくまだまだ限られていること。

・そんな将来を10代のいまから選択して、他の可能性を一切切り捨てているように見えること。

 

唄はものすごくしっかりしていてたくさんの現実を見ているかもしれないけど、やっぱりまだこどもなのだと思わせるセリフだった。

 

結果、唄は改めて自分で医者を目指すことを決めていたけど(そしておそらく"自分で"決めることが何よりも大切だったんだけど) 、そこまでの現実はまだ見えてないであろう唄がもしそのまま思う道を突っ走ってしまったら、それでも彼女自身の人生だから、と黙って見守るべきなのか、親としてどう手を差し伸べてやることが正解なんだろう…と頭を抱えてしまった。

 

世の中の変化、という点でこのドラマで救われたことももちろんあった。

 

確かに世の中は、いままで生きづらくて仕方なかった側への視点を持ち始めていて、本当にゆっくりかもしれないけど変わっていってるんだと思う。

 

唄が自分で選んだ道のその先に彼女の性別に関わらず、能力と努力が正しく評価されてそれに見合う対価の支払われる未来があるといい、世の変化がどうか間に合って欲しい、と強く思った。

 

なんだかんだと色々言ったし、気になったことを書き出してみたけど、それでも大好きで、いつまでも何度だって見返してまたとわ子と三人の元夫たちがいる世界を眺めたい。本当に楽しい3ヶ月だった。はぁ…早くBlu-ray発売されないかなぁ!!