ハレの日も ケの日も

推しを愛して自分を満たす、その記録です。

推し方のこと、私のスタンス

3/27に初観劇後、ここまで4公演を観劇させてもらった『クラッシャー女中』。沢山の方の感想や解釈を聞いたり読んだりしてその度に唸ったり悶えたりしている。どれもみな素晴らしいの…。観劇ど素人の私にはこのガイドがないととてもじゃないけど喰らいついていけない。ありがとうありがとう…遠慮なく吸い込ませて頂きます。

 

さて。ひとつ前の記事で、初回観劇の感想を吐き出しているんだけど、その中で書いた「ゆみ子がファンそのものに見えた」を、もっと辛辣に受け取って自分自身を当てはめて苦しんでいる方、とても多いような。

 

倫也さんのファンて、倫也さんが唯一無二で、他に推してる俳優さんやアーティストがいても、倫也さんが絶対的な存在として君臨している、そんな方が多いように思う。そして今回この舞台のメッセージが直撃してしまってしんどくなっているのも、まさにその人たちなのかなって。

 

倫也さんのお芝居は、板の上からでこそ引力が強い、本当に。映像作品を見ていてもそれは充分発揮されていたように思っていたけど、生で舞台を見せられて実感した。こんなのを何年もかけて毎回全く違うアプローチで見せられたら、それはもう降参するしかないでしょ完全に白旗でしょ…。

 

そして彼は、ファンへの愛がすごく深い。ツイートひとつとってもそう。こんな人を何年も見つめ続けていたら、それはもう心も身体も持っていかれちゃうよ…。

今回彼が望んで挑んで手にしたアラジンの吹き替えに、ファンのみんなが彼のことを思って咽び泣いているのも、そういうこと。ファンは推しの鑑、倫也さん同様みんな愛が深いの。だからこそ、自分のスタンスを省みてしまい、苦しむんだろうなって。

 

一方 私はなんでこんなに他人事なんだろうっていえば、私の中の推しって、あくまで「自分の人生を豊かにしてくれる存在」で、言ってしまえば「自分が毎日を楽しく暮らすために」推しが必要なわけで。あくまで自分ベース、推すことも悶えることも全ては自分が楽しむため、自分本位。これは極端に言ってるけども。

 

もちろん、好きになった方にはできれば健やかに充実した日々を送ってほしいと思うし、望みは叶えてほしい。こんなに毎日をキラキラさせてくれる推しには本当に感謝してる。

 

でも、推すことで自分が苦しくなるんだったらいっそ離れるか、少なくとも距離感を見つめ直すんだと思う。私は。そしてこんな自分本位な推し方を自覚しているからこそ、「推しのため」にはならないって思ってて。「こんな浅くて自分本位な人がファンでごめんなさい、せめてご迷惑にならないように推すし、落とせるお金は落とします」くらいの気持ち。ゆみ子にはね、なり得ないんです、私の向き合い方では。

 

と、いうことがくっきりはっきりわかってしまった。くぅぅぅ、なんだよぅ抉られはしないけどなんかちょっと私寂しいよ根本さぁん!!!!!

 

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ここまでが名古屋で3回目を観た後にまとまって、いざ大阪での4回目。ゆみ子のこんな台詞が妙に私の中に残った。

「義則くんがかけてくれた声のおかげで、多分今日まで私生きてこれたの。」

重い。ただでさえものすごく重いやつ。その「かけてくれた声」が発端でこの悲劇に繋がってるんだとしたら、義則はめちゃくちゃに後悔するはずの。

 

 

……。

 

…………。

 

これ、わたし、言ったこと、あるな……?

 

 

 

わたし!!!!!!

桜井さんに!!!!!!!

常々言っちゃってる!!!!!!!!

 

 

全然ダメだ、わたしの中にもいたわ、ゆみ子!!!!!

 

もっと省みて!!!!!!!もっと抉られて!!!!!!苦しんでください!!!!!!!